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トークイベント「ぶっちゃけ京都の木ってどうですか?〜京都の木と仲良く付き合う方法〜」を実施しました(後編)

2026年3月23日

登壇者それぞれの活動紹介を終えた後、会場の空気は一段と熱を帯びました。ここからは用意された問いに対し、登壇者が率直に答えていく「ぶっちゃけトーク」。

立場も背景も異なる5人が、忖度なしで質問を受け取り、自身の実感を語り、それぞれの本音が交差することで、京都の木を取り巻く課題と可能性がより立体的に浮かび上がっていきました。

綺麗ごとだけではない。けれど悲観だけでもない。「ぶっちゃけ」だからこそ見えてきた、京都の木とのリアルな距離感。その対話の一部を、ご紹介します。

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「木製品は高い?」

会場からも共感の声が上がったのが、この率直な問いでした。百貨店という消費の最前線に立つ立場からは、「正直、高い」という本音も語られました。プラスチック製品や大量生産品と比べれば、木製品の価格は確かに安くはありません。

しかし、その「価格」の中身について、登壇者たちは改めて問い直します。

木製品の背景には、長い時間と多くの工程が存在します。
山を整備し、苗木を植え、何十年もかけて育てる手入れの仕事。
伐採の技術と安全管理。
原木を板や角材へと変える製材。
乾燥や選別といった地道な工程。
そして、職人の手による加工と仕上げ。

さらに、木製品は適切に使えば何十年も持ち、世代を超えて引き継ぐことも可能です。短期間で消費される製品とは異なり、「長く使える」という時間軸もまた価値の一部です。

こうした背景を知ると、価格は単なる“コスト”ではなく、山から暮らしまでをつなぐ“物語”の総体であることが見えてきます。

登壇者たちが共通して語ったのは、「高い」のではなく、「背景が十分に伝わっていない」のではないか、という視点でした。どんな山で育ち、どんな人が関わり、どれほどの時間が費やされたのか。そのストーリーが届けば、価格の見え方は変わるかもしれません。

もちろん、すべての人が高価な木製品を選べるわけではありません。しかし、価格の裏側にある価値を理解したうえで選ぶということ。それ自体が、山や職人への還元につながります。 「木製品は高い?」という問いは、私たちが何にお金を払い、どんな未来に投資したいのかを考える問いでもありました。

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「伝統より挑戦の方が楽しい?」

ぶっちゃけトークの中でも、価値観が色濃く表れたのがこの問いでした。
「伝統を守ること」と「新しいことに挑戦すること」は対立するのか。
登壇者それぞれの立場から、多様な答えが示されました。

■ 木工家の視点:そもそも分けられない

木工家の賀來氏は、「伝統か挑戦か」という二項対立そのものに疑問を投げかけました。木は人類が最初に使った素材の一つであり、火や石と同じく、暮らしの根源にある存在。だからこそ、木を使って未来の道具をつくることは、常に過去からの延長線上にあるといいます。

新しい椅子をつくることも、宇宙建築を構想することも、人類が木と関わり続けてきた歴史の続きにすぎない。「古い」「新しい」と分けるのではなく、連続する時間の中で更新していくものだという視点が印象的でした。

■ 林業の視点:生き残るための挑戦

山の現場からは、より切実な声が上がりました。
古原氏にとって、特殊伐採という仕事自体が、従来の林業の枠を超えた挑戦でもあります。しかしそれは“新しいことをやりたいから”というより、“林業が成り立たなくなりつつある現実の中で、誰もやらない仕事、つまり生き残るため”の選択でもあると語ります。

伝統的な循環型林業が維持できない状況のなかで、技術を売る、価値を生み出す、新しい事業に挑む。それは楽しさというよりも、未来へつなぐための責任でもあります。

■仏画屋の視点:過去の巨匠と新しい技術の融合

宅間氏は、過去の技法を取り入れつつ、新しい技術も学び、創造することに楽しみを見出しています。昔の「鳥獣戯画」の例を挙げ、古くから人々が遊び心を持って新しいものを創作してきたと語ります。

仏画の世界でも、時代とともに変化する人々の感性や、新たな素材、技術に対応しながら、その精神性を継承し発展させていくこと自体が、楽しさであり挑戦です。

■ 宮大工の視点:学び続けることが楽しい

富沢氏は、社寺建築の世界においては「学び続けること」そのものに楽しさがあると語りました。1300年以上続く木造建築の歴史は、学んでも学びきれない奥深さがあります。先人の知恵を理解し、同じ手法で修理を重ねることもまた、創造的な営みです。

一方で、耐震性を求める現代のニーズに応えるため、木と鉄骨を融合させる設計など、新たな課題にも向き合っています。そこには確かな挑戦がある。つまり、伝統を守ること自体が、常に新しい問いに向き合う行為でもあるのです。

■ 都市の視点:挑戦できることの喜び

百貨店の立場から谷氏は、「私自身が新しいことをやりたい性格なので、会社が挑戦を後押ししてくれる今は楽しい」という率直な声もありました。北山杉をクリスマスツリーにするなど、前例にとらわれない企画を実現できることは、大きなやりがいにつながっています。

ただし、その挑戦も「京都らしさ」を守るという軸の上にある。伝統を理解しているからこそ、逸脱ではなく進化になるというバランス感覚が語られました。


登壇者たちの答えを総合すると、「伝統か挑戦か」という単純な対立構造ではないことが浮かび上がります。

伝統を深く理解することが、新しい挑戦を可能にする。挑戦を重ねることが、やがて次の伝統になる。

楽しさの質は立場によって異なりますが、共通していたのは「未来へつなぐ」という視点でした。守るだけでも、壊すだけでもない。その間で揺れながら更新していくことこそが、京都の木に関わる人々の現在地なのかもしれません。

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「京都の木は扱いづらい?」

ぶっちゃけトークの中でも、特に議論が深まったのがこの問いでした。

京都の木には、確かに現実的な課題があります。まず挙げられたのは地形の問題。京都北部の山々は傾斜が急で、かつては川流しなどの知恵で木材を運び出していましたが、現代の重機中心の林業においては搬出コストが高くなりがちです。結果として、他地域の大量生産材と比べて価格競争力を持ちにくいという構造的なハンデがあります。

さらに、京都の杉に見られる“黒心(くろしん)”と呼ばれる赤身の濃い色味も、流通の現場では敬遠されることがあるといいます。均一で明るい色合いが好まれる市場において、自然が生み出す個性的な色は「規格外」として扱われてしまう場合も少なくありません。

(スギの赤身が黒いサンプルを見る来場者)

加えて、都市部での利用においては法規制の壁もあります。京都市は防火規制が厳しく、商業施設や公共空間の内装に木材を多用するには防炎処理などの追加コストが必要になります。安全性を担保するための重要な制度ではあるものの、結果として木材利用のハードルを高めている側面も否めません。

こうした地形、流通量、色味、規制といった複合的な要因が重なり、「京都の木は扱いづらい」という印象が生まれているのです。

しかし登壇者からは、前向きな意見も数多く挙がります。
 「特性を理解すれば扱いづらくない」
 「黒心は欠点ではなく、デザインの可能性」

素材の個性を均一化しようとするのではなく、適材適所で活かす視点を持てば、京都材は十分に魅力を発揮できる。むしろ量産材にはないストーリーや表情こそが価値になるのではないか、という声もありました。

最終的に共有されたのは、「扱いづらさ」は木そのものの問題ではなく、私たちの使い方や伝え方の問題ではないか、という認識でした。

京都の木が持つ特性を理解し、その背景にある風土や歴史まで含めて届けることができれば、“扱いづらい”は“個性的で面白い”へと変わるかもしれない。

この問いは、素材の話であると同時に、価値の見つめ直しでもありました。

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10年後の京都は?

トークの最後に投げかけられたのは、未来への問いでした。
 「10年後の京都は、今よりもっと木に溢れていると思いますか?」

登壇者全員が、少し考えながらも“願いを込めてYES”と回答しました。

そこには楽観だけでなく、現実を見据えたうえでの希望が込められていました。

鍵として挙げられたのは、まず「子どもたち」の存在です。木に触れる体験や木育イベントを通して、素材のぬくもりや香りを知ること。0歳の子どもが10年後には10歳になり、自分で選択を始める世代になります。今蒔いた種は、確実に未来の消費や価値観へとつながっていきます。

さらに、和室づくりへの補助制度のような、地域循環を支える政策の提案もありました。木を使うことが経済的にも選びやすい仕組みを整えれば、職人の仕事が守られ、山へもお金が還元される。価格の問題を「高い・安い」の二択で終わらせず、循環の仕組みとして捉える視点が求められています。

また、地域で山を守る体制づくりも重要なテーマです。人口減少や担い手不足が進むなかで、山の管理はますます難しくなっています。それでも、都市に住む人々が山の現状を知り、選択や行動で関わることができれば、都市と森林の距離は縮まります。

もちろん、林業の衰退や市場の厳しさといった現実は簡単には変わりません。しかし、百貨店での木の企画、若い宮大工の育成、地域材を活かすデザインの試みなど、小さな芽は確実に生まれています。

10年後の風景は、突然変わるものではありません。
 今、誰がどんな選択をし、どんな価値を大切にするか。その積み重ねが街の表情をつくっていきます。

「もっと木に溢れていてほしい」という願いは、単なる理想ではなく、具体的な行動の積み重ねによって形づくられていくもの。

この日共有されたのは、未来への楽観ではなく、“責任ある希望”だったのかもしれません。

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最後に

本イベントを通して浮かび上がってきたのは、「京都の木」をめぐる現実の厳しさと、それでもなお未来へと手を伸ばす人々の姿でした。

山では、株式会社アーボプラスの古原氏が語ったように、循環が滞れば山は荒れ、災害リスクさえ高まります。都市での消費のあり方が、遠く離れた山の未来を左右しているという事実は、私たち一人ひとりの選択の重みを示しています。

一方、宮大工集団・匠弘堂の富沢氏は、1300年続く技術の延長線上に立ちながら、鉄骨とのハイブリッド構造といった現代的な挑戦にも向き合っています。守ることと変わることは対立ではなく、時間の流れの中で連なっている。その姿勢は、伝統の本質を静かに物語っていました。

仏画屋宅間堂の宅間氏は、木を祈りや精神と結びつく存在として捉え、素材と向き合う過程そのものが人の心を整える行為であると示しました。木は建物を支えるだけでなく、人の内面をも支える媒体なのです。

木工家・プロダクトデザイナーの賀來氏は、京都の杉の個性を価値へと転換し、さらには「宇宙建築」という未来像まで提示しました。最古の素材である木が、最先端の空間と結びつく可能性を秘めているという視点は、木の価値を一気に未来へと拡張しました。

そして大丸京都店の谷氏は、北山杉のクリスマスツリーという象徴的な試みを通じて、都市のど真ん中で木と出会う機会を生み出しました。厳しい防火規制やコストの課題がある中でも、背景や物語を伝える編集力によって価値を届けようとする姿勢は、山と都市をつなぐ新たな可能性を示しています。

立場も現場も異なる人々に共通していたのは、「山にお金が戻ること」「技が続くこと」「暮らしの中に木が息づくこと」への願いでした。京都の木は、単なる建材ではありません。それは風景であり、歴史であり、精神文化であり、循環そのものです。山で育ち、街で使われ、やがて次の世代へと受け継がれていく時間の流れを内包しています。

山から街へ、そして未来へ。

10年後、京都の街角や住まいの中で、今日の対話が小さな変化となって現れているかもしれません。子どもたちが木に親しみ、商業空間に地域材が自然に使われ、山と都市の距離が今より少し縮まっているかもしれません。

その未来の風景をつくる種は、すでに蒔かれています。