
終戦直後、何もないところから始まった小さな木工所。創業から約80年を迎えた今も、そのものづくりへの情熱は脈々と受け継がれています。
今回お話を伺ったのは、四代目代表の山田社長。創業当時のエピソードから、異業種から家業へ戻った経緯、そして障がい者雇用への取り組みまで、山田木工所の歩みと想いをお聞きしました。

(有)山田木工所 代表 山田氏
終戦の年、ゼロから始まった木工所
山田木工所の創業は昭和20年(1945年)。終戦を迎えた年に、山田社長の祖父が建具職人として独立したことが始まりです。
祖父は戦時中、軍需工場で働いていましたが、それ以前は建具屋で丁稚奉公をしながら技術を身につけていました。終戦後、その技術を頼りに独立を決意します。しかし当時は、道具も機械も作業場もない状態。工務店から道具を借り、少しずつ仕事を増やし、利益を機械へ投資する毎日だったそうです。
「祖父はとにかく機械が好きな人でした。モーターを組み合わせて自分で木工機械を作ったり、借金をしてでも新しい設備を導入したり。機械化への挑戦を惜しまない人だったと聞いています。」
その姿勢は、現在の山田木工所にも受け継がれています。
四代にわたって受け継がれるものづくり
創業者である祖父には二人の息子がおり、長男が二代目、山田社長の父が三代目、そして現在の山田社長が四代目となります。
昭和40年代には現在の工場へ移転。当時は周囲一帯が畑だったそうですが、現在では地域のものづくりを支える企業として歩み続けています。
山田社長は中学生の頃まで祖父と接する機会がありました。
「工場の隅に座って、みんなの仕事をずっと見ていた姿をよく覚えています。」
その静かな背中が、ものづくりへの想いを自然と伝えていたのかもしれません。
橋梁エンジニアから家業へ
意外にも、山田社長は職人として修業を積んだわけではありません。
大学院卒業後は橋梁設計のエンジニアとして約8年間勤務し、北海道から九州まで全国各地の橋梁プロジェクトに携わりました。手掛けた案件は約10件。地元の高速道路ジャンクションの設計にも関わったそうです。
そんな安定した仕事を辞め、家業へ戻る決断をした背景には、祖父の一言がありました。
「祖父が亡くなる前に、『この工場はお前にやる』と言ってくれたんです。その言葉がずっと心に残っていました。」
32〜33歳の頃、勤務先で広島への転勤が決まり、「今がそのタイミングだ」と家業へ戻る決断をします。
もちろん不安もありました。
「結婚して子どももいましたし、給料は半分になりました。正直、今でも当時の収入には戻っていないかもしれません。」
それでも家業を継ぐ決断をした背景には、祖父との約束を守りたいという強い想いがありました。
信頼を積み重ねるものづくり
現在の山田木工所には営業担当はいません。
仕事の多くは、長年取引のある工務店からの紹介や依頼によるものです。
一方で、木製カップなどのオリジナル商品については、展示会や商談会に積極的に参加し、お客様の声を聞きながら、新たな製品づくりや販路開拓につなげています。
長年培ってきた技術と信頼を土台に、新しい挑戦も続けています。
3D加工機導入の本当の理由
山田木工所では、最新の3D加工機やNCルーターと職人の技術を組み合わせた木工加工を行っています。しかし、その導入目的は新商品の開発ではありませんでした。
きっかけは「障がい者雇用」でした。
オーダーメイド中心の建具木工では、製品ごとに作業手順が異なります。また職人によって手順や教え方も違うため、実習に来られた障がいのある方が混乱してしまうことも少なくありませんでした。
さらに、安全面の課題もあり、雇用を断念せざるを得ないケースも続いたそうです。
そんな時に出会ったのが3D加工機でした。
設計データを読み込み、木材をセットしてボタンを押せば加工が始まる。
作業工程を標準化できることで、障がいのある方でも安心して取り組める仕事が生まれました。
「木のコップを作りたくて導入したのではなく、障がい者雇用を実現したかったから導入したんです。」

(沢山の試作品、失敗品を手に3D加工機導入の経緯を説明する山田氏)
この設備導入をきっかけに、奥様が独学で3DCADを習得。デザインをデータ化し、障がいのあるスタッフが製品づくりに携わる体制が完成しました。
「利益」よりも「仕事をつくる」
山田木工所では現在11名の社員のうち3名が障がいのあるスタッフです。
中には週2日・1日2時間からスタートする超短時間勤務の社員もいます。
一人ひとりの特性に合わせて仕事を少しずつ広げながら、将来的にはフルタイム勤務を目指しています。また、自社だけでなく障がい者施設とも積極的に連携しています。
木材の削り粉から抽出するアロマオイル製造や塗装作業など、工程を施設へ依頼することで仕事を生み出しています。
「利益だけを考えれば、小物づくりの外注は効率が良いとは言えません。でも、障がいのある方ができる仕事を作りたい。そのために続けています。」
仕事を外注する理由はコストではなく、「働く機会を増やしたい」という想いでした。
障がいは「できない理由」ではない
山田社長は京都市の障害者雇用アドバイザーも務めています。
企業から相談を受ける中で伝えているのは、「障がい者だから特別」という考えではなく、一人ひとりの得意なことを見つける大切さです。

例えば、騒音の多い工場では聴覚障がいのある方が集中して作業できることもあります。
視覚障がいのある方が感覚を活かして検品作業で力を発揮するケースもあります。
「障がいがあるからできない、ではなく、その人だからこそ活躍できる仕事は必ずあります。」
その考えのもと、障がいのある方や介助者の声をもとに、補助具や福祉用品の開発にも取り組んでいます。
寝たきりの方が天井を向いたまま読書ができる補助具など、一人ひとりの困りごとに寄り添った製品づくりも、山田木工所ならではのものづくりです。

木の可能性を広げる挑戦
工場では、昔ながらの木工機械と最新の3D加工機・NCルーターを組み合わせ、それぞれの長所を活かした製品づくりを行っています。
3Dスキャナーで取得したデータをもとに、一人ひとりの手に合わせた持ち手を製作するなど、木工の可能性を広げる試作・開発にも日々取り組んでいます。
また、京都市産材「みやこ杣木」のみを使用したオリジナルブランド『木の幸』を展開。
京都で育った木を京都で製材・加工し、「海の幸」「山の幸」のように、木からいただく幸せを届けたいという想いがブランド名に込められています。
こうしたものづくりへの取り組みは高く評価され、「京都インターナショナルギフト賞2011」を受賞しました。


(漆で仕上げられた木製ネイル)
技術は、人のためにある
創業以来受け継がれてきたものづくりへの情熱。
新しい技術を積極的に取り入れる挑戦心。
そして、誰もが働ける環境をつくりたいという強い想い。



(工場内では若手職人の姿が目立つ)
山田木工所のものづくりは、単に木製品を作ることではありません。
「木の可能性」と「人の可能性」の両方を広げながら、これからも地域に必要とされるものづくりを続けていきます。